2012年3月4日日曜日

第2回:RF回路の代表例から知る周波数変換と変復調の課題 - 半導体 - Tech-On!

第2回:RF回路の代表例から知る周波数変換と変復調の課題 - 半導体 - Tech-On!

前回より続く

CMOS技術でRF回路を集積するに当たり,無線通信の送受信方式や変調技術の違いによって集積しやすいものとそうでないものがある。今回は現代主流となっている方式を基に,回路設計者が知っておくべき無線通信回路特有の特徴や課題を基礎から解説する。 (野澤 哲生=日経エレクトロニクス)

 2000年に入り開発が活性化し,一気に実用レベルへ進展したCMOS RF回路。前回はここまでに至る道のりを,ワイヤレス通信とRF回路の歴史から振り返った。今回はRF回路に特有の信号処理である周波数変換と変復調について,回路設計の際に考慮すべき不可欠な要素や課題の例を紹介する。加えて,回路設計とのつながりを考慮して,RF回路の不完全性や雑音が変調信号に及ぼす影響とその対策についても触れる。後半には変調技術についての入門的な解説も用意した。

イメージ妨害波の抑圧が重要

 今回は,現在も携帯電話機やPHSなどで主に利用されている「スーパーヘテロダイン」受信方式を用いたRFトランシーバを題材にして,周波数変換の役割や設計上考慮すべき点について述べていく(図1)。図1のブロック図は,PHSのように送信時と受信時に同じ周波数の電波を用いる「TDD (time division duplexing)方式」を想定し,送受信切り替えスイッチを用いている。受信回路はRF入力から復調器までに1回の周波数変換を行うシングル・コンバージョン型である注1)。送信回路も同様に,変調器の後に周波数変換を1回行い,RF信号に周波数を持ち上げる。変換途中に現れる周波数の信号を,送受信共に中間周波信号または「IF (intermediate frequency)信号」と呼ぶ。

注1) この場合,シングル・スーパーヘテロダイン受信,または略してシングル・スーパー受信と呼ぶこともある。

図1 スーパーへテロダイン型RFトランシーバ回路のブロック図

TDD方式のスーパーヘテロダイン型RFトランシーバ回路のブロック図を示した。4個の BPF(帯域通過フィルタ)は,チップ上への集積が難しいため外付け部品となる。図の①のBPFは,受信信号と離れた周波数の雑音をカットするためのフィルタ,②はイメージ妨害波など希望波に近い周波数の雑音をカットするためのフィルタ,③は送信回路でミキサを通過したRF信号の高調波や不要な側波帯をカットするためのフィルタである。

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外付け部品の集積が困難

 RFトランシーバの動作を概観しながら周波数変換を詳細に説明しよう。図1において,受信信号の流れから見てアンテナの直後にある帯域通過フィルタ(BPF)①は,今想定している無線システム(例えばPHS)が利用する周波数帯のみを通過させて,他の無線システムからの不要な電波を抑圧する。その後,微弱なRF信号は低雑音アンプ(LNA)にて10数〜20dBほど増幅される。これで,ミキサ以降で生じる熱雑音の影響を最小限にする。LNAの後の BPF②は「イメージ抑圧フィルタ」と呼び,スーパーヘテロダイン方式をはじめとするIF信号に変換する方式につきまとう課題である「イメージ妨害信号」を抑圧するために挿入する注2)

注2) IF信号を使う方式には,例えば低IF,広帯域IF,スライディングIFなどもある。一方,ダイレクト・コンバージョン方式はIF信号を使わないため,イメージ妨害の問題がない。

 ミキサは,今回の主題である周波数変換を行う回路ブロックであり,式(1)に示すようにアナログ乗算器で実現できる。周波数の和成分を上側波帯(USB:upper sideband),差成分を下側波帯(LSB:lower sideband)と呼ぶ。

ωSはミキサに入力する信号の周波数,ωLOは局部発振器(LO:local oscillator)の発振周波数である注3)。ミキサが受信回路にある場合,ωSはRF信号の周波数ω RFとなる。式(1)の第1項の周波数成分は RF信号よりも高くなる不要な成分で,ミキサ出力部が持つ低域通過フィルタ特性とチャネル選択用BPFにより大幅に減衰する。一方,第2項はIF周波数に周波数変換された成分となり,ミキサ直後のチャネル選択用BPFを通過する。チャネル選択用BPFを通過したIF信号は,自分の周波数チャネル成分しか含まないので,IFアンプにより70〜90dB程度に大きく増幅できる。復調器も一種の周波数変換器であり,IF信号からベースバンド・デジタル信号を取り出す働きをする。

注3) それぞれ正確には角周波数と呼ぶべきであるが,ここでは周波数と略す。


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 送信回路の場合,ωSはIF信号の周波数ωIFである。ベースバンド・デジタル信号は変調器でIF信号に変換されるので,変調器は一種の周波数変換器と見なせる。IF信号はミキサにより式(1)に基づいてRF信号に周波数変換される。第1項をRF信号として利用するので,周波数には,ω RF=ωS+ωLO=ωIF+ωLOの関係が成り立つ。式(1)の第2項の減算成分はミキサ直後のBPFにより大きく減衰するので,パワー・アンプ(PA)には希望するRF信号のみが入力される。

 RFトランシーバを集積化する際に注意が必要なのは,図1中のBPFに要求される急峻な特性を現時点のCMOS技術では実現できない点である。つまり,このようなBPFの集積化は難しい。この結果,BPFは外付け部品となる。具体的なBPFとしては,RF帯には誘電体フィルタまたはSAWフィルタ,IF 帯にはSAWフィルタなどが利用される。

 図1のようにBPFでイメージ抑圧する従来のスーパーヘテロダイン型には,受動部品とICの組み合わせにより,高い周波数選択度,高いイメージ抑圧比,高感度性が得られるという特徴がある。特にイメージ抑圧比は他の方式では得られないレベル(60dB以上)が可能である。半面,外付けのイメージ抑圧フィルタが必要になり,部品点数の削減や小型化に限界があるのが課題となる。

不可欠なイメージ抑圧フィルタ

 ここで,イメージ妨害信号とその抑圧方法について少し詳しく解説する。イメージ妨害は,RF信号からIF信号への周波数変換の際に,他の無線システムで利用されている特定の周波数の無線(イメージ妨害波)が希望のRF信号と重なってしまう現象である。

 スーパーヘテロダイン方式において,仮に BPF①とイメージ抑圧用BPF②が無いとする(図2(a))。式(1)の第2項に注目すると,他の無線システムがたまたま, ωRF−ωLO=ωLO−ωim=ωIFとなる周波数ωimを利用している,つまりLO信号の周波数に対してRF信号の周波数に対称な位置に来る周波数の無線が利用されている場合に,イメージ妨害信号と希望RF信号が同じIF周波数に変換されてしまう。例えば,2.4GHz帯Bluetoothで IF=200MHzのスーパーヘテロダイン受信機を造る場合,LO信号を2.2GHzとするとイメージ妨害波の周波数は2GHzとなって,第3世代携帯電話の電波がイメージ妨害波となってしまう。

図2 イメージ抑圧用BPFの効果

図1の①と②のBPFの有無で,RFからIFへの周波数変換後の受信信号がどう変わるかを示した。①と②のBPFの両方が無い場合,周波数変換の際にイメージ妨害波が希望波に重なり,受信が不可能になる(a)。①のBPFだけがある場合,イメージ妨害波は少し弱くなるものの依然として希望波を妨害する(b)。①と②のBPFがそろうと,ようやく希望波だけを通過させることが可能になる(c)。

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 図2(a)のようにイメージ信号の強度の方が希望信号よりも大きい場合は,IF信号中の希望信号はイメージ信号により埋もれてしまい受信不可能になる。イメージ妨害は,IF周波数をうまく選ぶことで回避できる可能性がある。しかし,電波資源はかなり逼迫しており,常にできるとは限らない。

 次に,BPF①だけがあるとする(図2(b))。この場合,イメージ妨害信号近傍の信号は30dB程度減衰する。減衰量がこの程度の値にとどまるのは,BPF①は想定している無線システム帯域全体を通過させる必要があり,減衰特性に限界があるためである。しかし,現実には60dB以上の減衰特性が必要なので,周波数変換を行うミキサの前にイメージ抑圧フィルタBPF②を入れ,イメージ抑圧比を60dB以上,確保するようにしている(図2(c))。

 以上の説明ではスーパーヘテロダイン型を前提にしているが,イメージ妨害はIF信号に周波数変換を行う低IF型など,ダイレクト・コンバージョン型以外のアーキテクチャには必ず発生する問題である。低IF型などでは集積度を高めるために,BPFなどによるイメージ抑圧フィルタと等価な機能を「イメージ抑圧ミキサ」により実現している。これについては次回で解説する予定である。

ミキサの変換利得を最大化

 次に,スーパーヘテロダイン型でよく用いるミキサ「Gilbertセル・ミキサ」の動作原理を,具体的な回路を基に説明する(図3)。Gilbertセル・ミキサは,バイポーラ回路では40年前から使われている代表的なアクティブ・ミキサで,CMOS RFでも広く利用されている。特徴は,LO信号のリークが小さい,RF信号をIF信号に変換するときの利得(変換利得)が大きい,といった点である。図3に示したのはMOS版で,オリジナルのバイポーラ版は,今も現役で活躍中のBarrie Gilbert氏が1968年のISSCC(International Solid-State Circuits Conference)で発表した1〜2)

参考文献
1) Gilbert, B.,"A DC-500 MHz Amplifier/Multiplier Principle," 1968 IEEE ISSCC Digest of Technical Papers, pp. 114-115, 1968.
2) Gilbert, B.,"A Precise Four-Quadrant Multiplier with Subnanosecond Response," IEEE J. Solid-State Circuits, vol. SC-3, pp. 365-373, 1968.3) Murota,K. et al.,"GMSK Modulation for Digital Mobile Radio Telephony," IEEE Trans. Commun. , vol. COM-29, pp. 1044-1050, Jul., 1981.

†Barrie Gilbert氏=英国出身の回路技術者。70以上の特許を持つ。米Tektronix,Inc.などを経て1972年以降,米Analog Devices,Inc.(ADI)に在籍。現在はADI, Fellow。

図3 Gilbertセル・ミキサ

Gilbertセル・ミキサのMOS版の回路図を示した。一方の入力端子(例えばRF入力)に印加されている差動信号が直流電圧で等しい大きさの場合には,出力に他方の端子(この場合LO入力) に印加された交流信号が出力されないのでダブル・バランス・ミキサ(DBM:double balanced mixer)とも呼ぶ。

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どのようにネットワーク

 図3では受信ミキサを想定しているが,端子記号のRF端子をIF端子に,IF端子をRF端子に読み替えれば,送信ミキサにも使える。このミキサは,3個の差動対から成る注4)。受信ミキサの場合,接地に一番近い差動対にRF信号を入力する。この差動対は,接地につながる電流源とともに,電圧信号を電流信号に変換する役割を持つ。残り二つの差動対は,ドレイン端子を共通にしてゲート端子にLO信号を入力するが,差動対間でLO信号の極性は逆である。これら二つの差動対は,LO信号振幅を大きくすることでスイッチング動作しており,電流の経路を切り替えている。このようなモードで動作させる理由は,変換利得を最大にするためである。

注4) この構成を「DBM(double balanced mixer)」とも呼ぶ。これは,一方の入力差動信号がゼロ,すなわち差動入力に同じ直流電圧が印加されている場合には,他方の入力端子に差動信号を入れても出力が現れないためである。

 Gilbertセル・ミキサの動作の仕組みをもう少し詳しく見るために,同ミキサの一部を簡略した構成を用いて説明する(図4(a))。LO信号が印加される差動対は,スイッチで等価的に置き換えられる。従って,LO信号は方形波信号で近似できる(図4(b))。

 波形を見やすくするために,正弦波の入力信号Sigの周波数はLO信号より低く設定する。これは送信回路を想定している。RF出力信号は,方形波のLO 信号と正弦波の信号Sigとの掛け算から得られ,信号Sigの符号によりLO信号の位相が反転する。包絡線は位相の変化点でゼロになるような一種のうなり信号になっている。LO信号が正弦波であれば,完全なうなり信号となる。

図4 Gilbertセル・ミキサの動作の仕組み

Gilbertセル・ミキサの動作の様子を,LO信号が印加される差動対をスイッチで置き換えた回路で等価的に示した(a)。LO信号は方形波信号で近似できる(b)。RF信号のスペクトラムに現れたLSBとUSBの二つの信号がRF信号の「うなり」の原因となっている。RF信号には高調波が現れるが,これと基本波の片方の側波帯はBPF(図1の③)によって除去する。

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 F出力信号のスペクトラムを見ると,LO信号周波数の左右対称にUSBとLSBが現れ,入力信号SigがRF帯へ周波数変換されたことが分かる(図 4(c))。さらに,LO信号が方形波で奇数次の高調波を含むことから,各高調波の左右にも周波数変換された成分(側波帯)が対称に現れる。このために RF信号波形がギザギザとなる。送信回路の場合,ミキサの直後のBPF③を用いて高調波成分並びに片方の側波帯を除去するので,USBまたはLSBがRF 信号として使われる(図1)。

変復調の注意点回路の不完全性が誤差を生む

図5 RF回路の各種の不完全性を生む要因

QPSKを想定した場合の変調波の理想から誤差が生まれる要因を示した。信号点は振幅と位相を持つベクトルとして表現できるため,誤差も振幅誤差と位相誤差から成るベクトルと見なせる。そしてそれぞれ,直交変調やパワー・アンプ(PA),フィルタなどの不完全性や雑音が要因になっている。

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 続いて変復調を解説する。RF回路の設計の際には,回路の不完全性や雑音などにより理想的な信号点配置からのずれが生じて誤差となることも忘れてはならない。この誤差は無線システム全体のビット誤り率を増加させるので,誤差をできる限り小さくするような回路設計を考える必要がある。理想の変調波からのずれを表す尺度は,変調精度(EVM:error vector magnitude)で表現する。図5には変調方式としてQPSKを想定したときの第1象限の様子を示す。誤差は振幅と位相に現れるので,ベクトルで考えられる。定量的には誤差ベクトルと理想ベクトルの大きさの比を%で表現する。

 振幅誤差の主要因は直交変調器のI(in-phase),Q(quadrature phase)チャネル間の利得(振幅)のアンバランスである。他にPAの振幅歪み,フィルタなどの群遅延特性が挙げられる。一方,位相誤差の主要因は,直交変調器の直交キャリアの90度からのずれである。他にPAの位相歪み,LO発振器の位相雑音,フィルタなどの群遅延特性も位相誤差を引き起こす。PDC やPHSの規格では送信出力信号のEVMを12.5%以下と規定している。

包絡線変動とPAの線形性に注意

 それでは,振幅誤差や位相誤差に影響を与えるPAやLO発振器,フィルタの問題点を順を追って説明する。まず,PAの振幅歪みや位相歪みは,RF出力信号の包絡線変動と深いつながりがある。BPSK変調を用いたRF回路の簡略モデルを使って,これら歪みの影響を見てみよう(図6)。

図6 変調波の包絡線変動がパワー・アンプで変調誤差要因に

変調波の包絡線変動が大きいと,直線性の低いパワーEアンプでは,変調波のピーク値付近で位相の誤差が急激に大きくなる位相変動(AM-PM変換)やピーク出力の抑圧(AM-AM変換)が起こる。変調波のうなりはBPSKではLSBとUSBの合成で起こるが,数百〜数千本のサブキャリアを合成するOFDMでは特に深刻になる。

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 1と0を繰り返すベースバンド信号(固定パターン信号)は帯域制限フィルタによって,正弦波のようになる。BPSK変調波はうなり波と同様に,ベースバンド信号の正負に応じて位相が反転している。この波形はUSBとLSB信号との合成波になっており,振幅の実効値がEの場合,ピーク値は2Eとなり,実効値とは6dBの差になる。パワー換算では4倍と大きい。


FAX番号を使っている人を見つけるためにどのように

 次に,この信号を図6右側の特性を持つPAで増幅することを考える。PAは入力が小さいときは,一定の増幅率を持つ線形領域で動作し,位相もほぼ一定である。しかし,入力パワーが大きくなるにつれて振幅は飽和に向かい,増幅率も減少する。入力パワーがさらに大きくなると信号のピーク値付近の出力が頭打ちとなり,包絡線が矩形に似てくる。このとき位相も小さい信号レベルのときに比べて大きく変化するようになる。この包絡線変動は,ASK(amplitude shift keying)やPSK(phase shift keying)系の変調技術を使う場合,ナイキスト・フィルタなどで帯域を制限し,高調波成分などを捨てることが根本的な要因である(p.170の「デジタル変調向けフィルタ,信号がアナログ的になることも」参照)。

 この結果,生じる振幅歪みを「AM-AM変換」と呼び,包絡線変動が位相の歪みになる現象(位相歪み)を「AM-PM変換」と呼ぶ。変調波を増幅する場合,実効値のレベルに入力パワーを設定するので,ピーク値がPAの特性の飽和領域に入ってしまい,スペクトル上のサイドローブの持ち上がりや,AM-AM 変換やAM-PM変換が起こることによるEVMの悪化を招くのである。

 この問題を回避手段としては,飽和領域よりレベルを下げて入力パワーを設定する方法がある。これをバックオフと呼ぶ。バックオフが大きくなると電力効率 ηaddが減少するので電池寿命に大きく影響する。QPSKの変形としてのπ/4シフトQPSKは,信号点の遷移時に包絡線振幅がゼロとならないように工夫したもので,QPSKと比べて包絡線変動を小さくできる。

フィルタの群遅延特性も重要

 続いてLO発振器の位相雑音の影響を考える。図7に示すように発振信号の左右にはデバイスの熱雑音,1/f雑音等に由来する位相雑音が発生する。位相雑音は文字通り位相情報の揺らぎであるため,信号点配置図上は信号点がランダムに回転する形で悪影響を及ぼす。この点も低位相雑音発振器の研究が重要な理由である。

図7 LOの熱雑音が位相誤差に変わる

LO(局部発振器)では熱雑音や1/f雑音が位相雑音となって現れる。それが信号点配置図上での回転を招き,位相誤差の増大につながる。

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 今度は,フィルタなどの群遅延特性がEVMに与える影響を考える。群遅延は位相の角周波数による微分,

で定義され,時間の次元を持つ量である。

 群遅延が一定であれば,基本波と高調波の遅延時間が同じになり,フィルタ通過後も同じ時間波形を再現できる(8)。すなわち歪みは生じない。一方,群遅延が一定でない場合には,基本波と高調波の遅延時間が異なってきて,フィルタ通過後は同じ時間波形を再現できず,歪みを生じることになる。具体的には,ナイキスト・フィルタの群遅延が一定でない場合には,直交変調後にEVMが悪化すると考えられる。ベースバンド・フィルタのみならず,IF/RF信号が通過するBPSの群遅延特性もEVMに影響を与える。

図8 フィルタなどの群遅延特性もベクトル誤差に影響

方形波などのパルス波形の基本波と高調波の群遅延が同じである回路(フィルタなど)を通過しても波形は崩れない(a)。ところが,群遅延が角周波数で異なる場合は,回路を通過すると波形が歪む(b)。群遅延が角振動数の違いに対して一定でないフィルタなどを通ると波形が歪み,ベクトル誤差の増大につながる。

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さまざまに広がるデジタル変調技術

包絡線変動がない変調方式も存在

 最後に,あらためて変調の役割を復習してみる。そもそも,変調が必要となった理由の一つは,アンテナの小型化と帯域の確保である。仮に変調を使わず 1MHzの信号をそのままアンテナから電波として飛ばすとすると(交流信号であれば原理的には可能),1/4波長の接地アンテナを用いたとしても,75m という長さのエレメントが必要になる。これでは中波帯のAMラジオ局レベルの鉄塔が必要になってしまい,個人ではとても使えない。そこで,搬送波(キャリア)と呼ぶ正弦波を電波として,そこに伝送したい音声/画像やデジタル信号を載せる手段である変調の概念が生まれた。キャリアの周波数を高く選ぶことで,アンテナのサイズを小さくでき,さらには多くのチャネルを使えるようになる。例えばキャリア周波数が2GHzの場合,1/4波長は3.75cmと携帯機器にマッチした長さになる。

 変調波は一般的に,

RF(t)=A(t)cos[ωCt+φ(t)]   (3)

と表せる。ここで,A(t)は振幅,ωCはキャリア周波数,φ(t)は位相である。デジタル変調では,振幅A(t)を変調する場合はASK,位相 φ(t)を変調する場合はPSK,周波数1/2π− dφ(t)/dtを変調する場合はFSK(frequency shift keying)と呼ばれる。携帯電話と近距離無線(無線LAN, Bluetoothなど)では変調方式として,PSKまたはFSKの系統が専ら使われている(表1)。ASKは高速道路の自動料金収受システムである ETC(electronic toll collection)など,利用は限定的である。

表1 各種ワイヤレス・システムと変調方式

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 変調波は複素表現を使うと,

RF(t)=A(t)cos[ωCt+φ(t)]=Re{ejωctA(t)e jφ(t)}      (4)

とも表せる。ここでReは実部を取ることを意味する。キャリアの項を除いた変調情報の部分, A(t)ejφ(t)により変調波を表現できる。これを図示したものが信号点配置図(constellation)である(図9)。ここでは,位相または周波数のみの変調であるので,A(t)は一定値となる。BPSK(binary PSK)は1ビットのデジタル値を0度と180度に対応させるので,1クロック(またはシンボル)で1ビットの伝送となる。

図9 デジタル変調の信号点配置図


いくつかあるデジタル変調の信号点配置図を方式ごとに示した。BPSKは,位相を反転するかしないかの2値(1ビット)変調(a)。QPSKになると位相がπ/4(90度)ずつ異なる4値(2ビット)の変調となる(b)。(a)と(b)は,ナイキスト・フィルタを使うことで変調後の信号の包絡線が時間的に変動する。このため,パワー・アンプにはA級またはAB級の線形増幅しか使えない。一方,FSKまたは Bluetoothに使われているGFSK,あるいはGSM方式の携帯電話に使われているGMSKは周波数変調であり,変調後の信号の包絡線が一定である(c)。これによりC級の非線形増幅が使える。

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 QPSK(quadrature PSK)では,2ビット信号を±45度と±135度の位相に割り当てるので,1クロックで2ビットの伝送が可能になる。従って,同じ伝送ビット・レートを送る場合,QPSKはBPSKの1/2の周波数帯域しか使用しないで済む。QPSKの変形であるπ/4シフトQPSKは,携帯電話(PDCなど)やPHS に利用されている。

 PSK変調の場合,ベースバンドのデジタル信号をナイキスト・フィルタによって帯域制限することで,周波数スペクトルの有効利用を図っている。このデメリットとしては,変調波の包絡線が変動するようになることで,PAの形式としてA級ないしはAB級の線形増幅器が必要となることである。デジタル変調ではあるがPAにはアナログ的な配慮が必要という,一見,不思議な事態が生じる。

 FSKの場合は,位相の時間微分である周波数に情報を載せるので,信号点配置図上は,周波数の増減に従って円周上を反時計または時計回りに回ることになる。GFSK(Gaussian filtered FSK)はBluetoothに使用されている。GMSK(Gaussian filtered minimum shift keying)は欧州などでの携帯電話方式GSMに使われている。この変調方式は日本電信電話公社(現NTT)の研究所の研究者により1981年に発明されたが,海外で花開いた3)。FSKの場合,GFSKやGMSKに代表されるようにGaussianフィルタによりベースバンド信号の帯域制限を行う。GMSK(MSKも同様)では,1ビット変化後の位相変化が90度であるという特徴を持つ。FSK変調波の包絡線は一定であるので,C級増幅など非線形な増幅器が使用できる。

 デジタル変調を回路で実現するために,変調波の式を変形すると図10(a)に示す式が得られる。回路的には,直交する二つのキャリア信号と信号点配置図に対応するベースバンド信号の直交成分I,Qをそれぞれ掛け合わせた後,アナログ的に減算することで実現できる(図10(b))。この方式を直交変調方式と呼ぶ。原理的にはすべての変調形式に適用できるが,特にQPSK変調, GMSK変調では広く用いられている。スペクトルを見ると,直流を中心としたベースバンド信号のスペクトルがキャリア周波数を中心としたIFまたはRF帯域の信号に周波数変換されている(図10(c))。

図10 直交変調の基本構成

変調波は,三角関数の加法定理をそのまま用いて,二つの波の差という形に変形できる(a)。これは,ベースバンド信号のI成分とQ成分でそれぞれ直交する搬送波を変調し,減算器で合成する流れと同じで,(b)のような回路で実現できる。変調前と変調後では,ベースバンド信号のスペクトルが,キャリア周波数を中心としたIF帯域またはRF帯域の信号に周波数変換されている(c)。

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 今回は,RF回路に特有の周波数変換と変復調の基礎や課題について解説した。次回は,周波数変換をもう少し掘り下げて,イメージ抑圧型ミキサやサンプリング・ミキサの基礎などを解説していく予定である。

デジタル変調向けフィルタ
信号がアナログ的になることも

 ASK方式やPSK方式で用いられる帯域制限フィルタ「ナイキスト・フィルタ」は,デジタル変調向けにもかかわらず,変調波の形がアナログ的な振る舞いを示すことがある。

 デジタル変調では,ベースバンド信号は方形波パルスであるので高い周波数までエネルギーを持つ。一方,周波数の有効利用のためには,1ユーザー当たりの占有帯域幅をできる限り小さくしたい。そこで考案されたのがこのフィルタである。クロック(またはシンボル)周波数の1/2の帯域を持つ矩形フィルタで帯域制限しても,パルス符号間干渉が起こらず問題なく伝送できるという理論に基づいて開発された。現実には完全な矩形フィルタは作れないので,ロールオフ率αをパラメータとした式(A-1)によって,なだらかに帯域を制限するA-1)

A-1) 武部ほか,『情報伝送工学』,オーム社,1997年

 このフィルタの特徴は,図A-1(a)のα=0.5の条件に示すように,二つのハッチ部分の面積が等しいことである。これはどのαでも成り立ち,α=1のときにはフラットな領域がなくなる。

図A-1 ナイキスト・フィルタはαの値次第で特性が変わる

ロールオフ率αの値に対するナイキスト・フィルタの周波数特性の違い(a)とインパルス応答の違い(b)を示した。α=0という理想的な状況ではフィルタの周波数特性は矩形であるが,α=1に近づくにつれて正弦波的になる。

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 インパルス応答を見ると,どのαの場合でも他のデータの判定点である時間t=nT(nが0以外)のときには振幅がゼロになり,他の符号に影響を与えない(図A-1(b))。しかし,αが小さくなるにつれて振幅のうねりが大きくなる特徴がある。QPSKの信号点配置図では,利用可能な帯域が無限大のときには膨らみはないが,ナイキスト・フィルタを用いて帯域を制限した場合は,そのαが小さくなるにつれて,ふくらみが大きくなり包絡線変動が大きくなるA-2)。従って,αが小さいほどこのフィルタを通した後のベースバンド信号や変調波の形が,よりアナログ的になることが分かる。

A-2) 米Agilent Technologies,Inc.,「通信システムのデジタル変調入門編」,Application Note 1298: http://cp.literature.agilent.com/litweb/pdf/5965-7160J.pdf

―― 次回へ続く ――



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